CARNIVAL UNDER THE MOON.

好きなものを好きというために。

「英霊剣豪七番勝負」は「魔界転生」のパクリなのか?

f:id:yakuzoorihusa:20171218150040j:plain

 

 ※ネタバレ注意

 いつかは書かねばなるまいと思っているのではやいうちに書くことにした。

 結局認めるかどうかは個人次第なところがあるので、自分もあくまで個人の感想として書いていきます。

 まず、自分は「魔界転生」も「英霊剣豪七番勝負」も好きです。

 また結論だけ先に言ってしまうならばパクリでは無い。だが明確なオマージュでありこれを嫌う人が一定数いるのも理解できる。

 

 今回、パクリかどうかを考えるうえで三つの基準を設けることにする。

 ①文章の剽窃等があるか?

 ②「魔界転生」のことを知られて困るか?

 ③「魔界転生」にはないオリジナル部分に面白さはあるか?

 以上の三点を考えていきたい。

 

 ①文章の剽窃等があるか?

 特に見受けられない。

 この要素は著作物を守っていくうえで重要な要素で、最も客観的に判断できる部分である。法律的にもここら辺を犯していると危うい。

 一部、想起させるセリフ等はあってもまるまる持ってきたとかそういった物は無いように思える。

 

 ②「魔界転生」のことを知られて困るか?

 別に困らない(本来は)。

 元ネタがバレて困るのがパクリとネットでは言われることが多いが、今回の「英霊剣豪七番勝負」は明らかに「魔界転生」を意識してオマージュしている。それは多くの要素を「魔界転生」に似せていることからあきらかではないだろうか。もちろんその結果箇条書きマジックでは多くの類似箇所が掘り出されたが、それはそうだ、だってわざと似せているんだもの。

 本来「魔界転生」を知らずとも楽しめ、知っているとニヤリとなる。そういった構成なのだ。

 そもそも、Fateが「魔界転生」の影響を受けて生まれたのは、多くのインタビュー等で奈須きのこ氏が述べており、ファンの間では常識と言ってもいいほどであった。そんな中FGOにおいて「英霊剣豪七番勝負」という日本が舞台で宮本武蔵がパートナーであるシナリオにおいて「魔界転生」ネタを入れてくるであろうことを予想していた人は多かったはずである(ここまで、ガッツリ入れてくると思った人は少ないだろうが)。そんな中ニコニコ生放送宝蔵院胤栄の登場が発表されるとより一層その期待は高まったのではないだろうか。

 そもそもパクリなのだとしたら日本を舞台にせず、登場人物も全て変えてしまえばいいのである。それをせずに真っ向から挑んだのは逆に評価すべきではないだろうか。

 

 ③「魔界転生」にはないオリジナル部分に面白さはあるか?

 ある(少なくとも自分はそう思う)。

 この基準は実はとても難しい。何故なら面白さというのは主観的な話で、読者全員がおなじ面白さを持つわけでは無いのだ。

 なので、「魔界転生」にはない部分をピックアップしその部分は面白さに帰依するかどうかを考えたい。

 全部だすときりがないので二つほど上げさせていきたい。

 最後の宮本武蔵VS佐々木小次郎、そして千子村正の存在だ。

 まず宮本武蔵VS佐々木小次郎だがもちろん「魔界転生」には存在しない。燃え盛る城での対決というシチュエーションの事ばかり話題に出す人もいるがここにおける本質は別のところにある。

 佐々木小次郎Fate/stay nightにおいてアサシンのサーヴァントとして召喚される。だが彼は佐々木小次郎という人物のモデルになった人物であり、攻勢に伝わる佐々木小次郎とイコールではない。そして彼は宮本武蔵と戦ってはいないのだ。だが「英霊剣豪七番勝負」においては妖術師の護衛として登場するのだが最後、妖術師が敗れた後に出てきて武蔵との決闘を行う。

 元凶たる妖術師を倒し勝負の結果が決まったところで出てくる。この決闘の勝敗など趨勢には影響しない、無意味な闘いに見える。だがそうではない宮本武蔵佐々木小次郎の決闘というのはもうそれだけで運命なのである。それは老武蔵の独白からもよくわかる。大きな戦いの後、個人と個人の運命を賭けた闘いが行われる。それはHFにおける士郎と言峰の闘い、もしくは冠位時間神殿における主人公とゲーティアの闘いに通ずるものがある。まさにFateの醍醐味ともいえる重要なものである。

 ここまで言えばわかるだろうがまさにこれは「魔界転生」ではなくFateにあるものである。

 そして千子村正の存在である。

 いやまて「魔界転生」にも鍛冶師の村正は出てくるだろうと言う人もいるかもしれない。確かにそうなのだが「英霊剣豪七番勝負」においては少々違う点がある。

 そう疑似鯖である。かれはFate/stay nightの主人公衛宮士郎の身体で限界する。

 また彼は実際に最後まで主人公たちとともに城の中にまでついてくるのだ。ただ鍛冶師のロールをするだけではない。前作主人公が助けに来るという構図に近いものがある。そしてそれはFateだからこそ彼が出てきた意味があるのだ。彼の物語はSNで終わり、その次の世代にバトンを手渡すかのように登場し、活躍して去っていく。

 長々と書いたがこれ以外にも異なる点は多くある。そしてこれらが全く「英霊剣豪七番勝負」の面白さにかかわりがないとは言えないのではないだろうか。もちろん全く面白くなかったという人はいるかもしれないが、少なくともこれをかいたシナリオライターは面白くしようとしたのは間違いないのではないだろうか。

 

 さて多くの事を書きなぐったがどうだったであろうか。

 まあ自分の意見としてはパクリでは無くオマージュだということだが。

 読み終わった時から自分は一部の人間だけは「英霊剣豪七番勝負」をパクリ呼ばわりできると思ってる。

 それは「魔界転生」の重度のファンの人で「こんなのをオマージュだとは認めない劣化物だ、パクリだ!」という意見の人たちである。

 自分はそういった自分の好きなものを誇りに思いこじらせたオタク的思考は大好きなのでそういった人たちの叫びはぜひぜひ聞いてみたい。

 だが、とにかく騒ぎたいような奴らや、そもそもパクリやオマージュの違いも考えられないような輩の言葉には微塵も耳を傾けたくない、そう思うのだった。